今日は我らの郷土のスターを紹介致します。
栃木を代表する根性の塊、お馴染みのスタイルは、皆さんご存知のあ
のスタイル森の石松をもじって三度笠スタイル絶対忘れないね。

今のガッツさんでは想像もつかないね

ラグナ デュラン ゴンザレス1 ピネダ1 ゴンザレス2
ブキャナン ピネダ2 ロハス ヘスス ムアンスリン

チャンピオンベルトを奪取した試合


スマエル・ラグナ×鈴木石松
昭和45年6月6日 . ライト級
現地に出かけて挑戦 . TKO13回負け
未だ鈴木石松の頃、中量級のホープとして日本では認められ愈愈
世界にと・・当然チャンスは廻って来た。この試合は海外で行われた
ので日本には記録しか残っておらず、ビデオは無く私も見た事は無い
幾ら石松でも世界のレベルは高く13回で敗戦の涙を飲む。

ロベルト・デュラン×鈴木石
昭和48年9月3日 . ライト級
現地パナマに出かけて挑戦. KO 10回 負け
百戦錬磨の当時は石の拳と言われたデュランに現地まで出て行き、
挑戦した。この試合も海外であったのでビデオにとどめる事が出来ず
残念である。しかしこのデュランは今(98年)現在現役で48歳位に
成っても未だ第一戦に居る、凄い相手である。此れから推定しても大
方の状態はわかる。未だ無鉄砲と言える挑戦であったと思う。10回
KOでの帰還で有った。

8回2分12秒「幻の右」からフックの連打で


ロドルフォ・ゴンザレス×ガッツ石松
昭和49年4月11日 WBC ライト級
東京 ・ 日大講堂 . 8回 KO ガッツ石松
石松が大番狂わせで、世界の頂点に躍り出た。世界ライト級は、伝統
的に層の厚さを誇るクラス。石松も過去2度挑戦し、いずれもKOで敗退
して居る。今回対戦するゴンザレスも、59勝49KOの一流王者。石松
に勝機無しとする見方が、圧倒的だった。石松はだが、一世一代の素
晴らしいボクシングを披露する。メキシカン独特のボディー攻撃にひるま
ず、左ストレートで突き放し、強い左フック、右ストレートで応戦。特に左
フックは出色のできで、此れがKOへの引き金となった。8回、左フック
がカウンターでヒット、王者がよろめく、ここで石松は、左フックをショート
で打ち、それにかぶせる様に右をフォローする。石松の言う「幻の右」を
爆発させた。ぐにゃりと腰から崩れ落ちる王者。完全なKOだったが、
アメリカ人レフリーはゴンザレスの腕を取って引き起こすという信じがた
い反則行為に出る。しかし石松はかまわず、グロッキーのチャンピオン
をめった打ちし、日本人として初のライト級タイトルを獲得した。石松は
この一戦を、ためらいなく「俺のベスト・ファイト」と言い切る。

8回、石松の左フックがピネダの顔面に


ガッツ石松×チュリー・ピネダ
昭和49年9月12日 . WBCライト級
愛知 ・ 愛知県体育館. 引き分け
石松の初防衛戦は、予想外の大苦戦となった。メキシカンの挑戦者は
手数としつこさが身上のファイター。このきめの粗い攻撃を、石松は初
回から持て余す。ウェイト・コントロールの失敗に加え、初防衛戦の緊張
が、王者の動きを束縛したらしい。石松は中盤までの失点を13回から
取り戻し、辛うじてドローに迄持ち込んだ。この頃から石松は、タレントと
してテレビに登場するように成り、調整不足を批判する声もあがり始めた

12回、石松の得意の右でゴンザレスをマットに


ガッツ石松×ロドルフォ・ゴンザレス
昭和49年11月28日 . WBC ライト級
大阪 ・ 大阪府立体育館 . 12回 KO ガッツ石松
石松の右一発が、再びゴンザレスを制した。4月の戦いのリタアーン
マッチ。減量苦の石松は、前回に比べ動きに切れが無く、右に頼り過ぎ
る、一方のゴンザレスも、この右を警戒するあまり、踏み込みが足りない
前半、挑戦者のボディ攻撃に苦しめられた石松は、8回すぎから徐々に
反撃。12回、ワン・ツーでよろめかすと、すかさずオーバー・ハンドの右
で追い撃ちをかけ、ゴンザレスをマットに叩きつけた。見事なワン・パンチ
ノックアウトだった。敗れたゴンザレスは現在青少年センターでボクシン
グを教えて居る。一時は俳優をめざしたこともあったが、ここでも石松の
方が一枚上手だったようだ。

終盤攻勢に出た石松が逆転勝ち


ガッツ石松×ケン・ブキャナン
昭和50年2月27日 . WBC ライト級
東京 ・ 東京体育館 . 判定 15回 ガッツ石松
ブキャナンは、ボクシング発祥の地イギリスの誇る正統派のテクニシャ
ン、3年前、あの”石の拳”ロベルト・デュランに王者を奪われたもののそ
の実力は高く評価されて居た。アップライト・スタイルから突き刺す左ジ
ャブは、ストレートの威力をもち、このパンチがヒットする度に、石松は大
きくのけぞる。技術戦では勝負に成らない。そこで「いちかばちかの喧嘩
ボクシングに出た」という石松は、強引な接近戦に。この作戦が成功して
端整なボクシングを崩されたブキャナンは、年齢からくる足と感の衰えも
露呈し、13回にはダウン寸前に陥る。石松は3対0の判定で快勝

8回石松が右ストレートでポイントを稼ぐ

ガッツ石松×チュリー・ピネダ
昭和50年6月5日 . WBC ライト級
大阪 ・ 近大記念会館 . 判定 15回 ガッツ石松
石松は前年、このピネダと対戦し、引き分けで辛くも初防衛を成し遂げ
て居る。今回の再戦も、大苦戦となった。出だしは、ワン・ツー、左フック
で好調な石松だったが、中盤でスロー・ダウン。ピネダのしつこい接近
戦に、顎をあげるシーンが増える。だがピネダも、減量苦の王者を追い
込みながら、決定打が無い。挑戦者のスタミナ切れを見てとった石松は
13回からスパート。捨て身の連打でポイントをあげ、叉も逃げきったが
世界戦としては低調な内容。石松は愈愈、ウエイト・コントロールが困難
に成って来た。

14回石松の右アッパーがロハスの顎


ガッツ石松×アルバロ・ロハス
昭和50年12月4日 . WBC ライト級
東京 ・ 日大講堂 . 14回 KO ガッツ石松
石松はこの試合の為に、19kgという異常な減量を強いられる。その
影響は、第1ラウンドから現れた。動きの鈍い王者を、中米コスタリカか
ら来たブル・ファイターは攻めまくる。単調でスピードも無いが、その執
拗さだけは、一級品だ。ロハスに一発の強打があったら、石松は立って
いられなかったに違いない。「前半はカラダが動かないからね、足を使
って攻撃をかわし、後半勝負する作戦だったんだ。突進してくる相手に
は右アッパーが有効だと思って、狙ってたよ
」。その右アッパーがつい
に14回、向かってくる挑戦者の顎に炸裂。ロハスはぐにゃりとへたり込
む様に倒れ、49戦にして初のテン・カウントを聞いた。

ガッツ石松×エステバン・デ・ヘスス
昭和51年5月8日. WBCライト級
プエリトルコ に遠征して . 判定 15回 エステバン・デ・ヘスス
日本人の世界戦の連敗を7で食い止めた石松だったが、此れがチャン
ピオンとして最後の勇姿となる。プエルトリコに遠征して防衛戦で試合
巧者のヘススに敗れ、5度守り抜いた王座に別れを告げた。

6回センサクの連打に石松2度目のダウ


センサク・ムアンスリ×ガッツ石松
昭和52年4月2日 . WBC Jrウエルター級
東京 ・ 蔵前国技館 . 6回 センサク・ムアンスリ
約1年のブランクの後カムバックした石松だが、1階級上のセンサクに
はまるで歯が立たなかった。4回から攻撃に出た王者は、減量に苦し
んだ石松の弱点のボデーに重いパンチを集中。6回、左フックを脇腹に
めり込ませ、1度目のダウン。マウスピースを吐き出しながら立ち上が
った石松のボデーを、今度は左アッパーでえぐりフィニッシュした。
我が郷土から出た世界チャンピオンも減量には勝てず、ついに引退の
時期が来た。今の石松を見れば如何にライト級での試合が大変だった
が伺える。それにしてもこの石松と戦って今だ、ロベルト・デュランは、
健在であった。漸く98年の試合を最後に引退とか・・・凄いね

.