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1980年代の軽量級ホープ渡辺二郎を紹介致します。彼は日本の ボクシング全盛期の最後のチャンピオンであるかも知れない。左の チャンピオンとして4年に渡りチャンピオンとして世界の頂点に君臨 その後沢山のチャンピオンが出て居るが、負けると直ぐに引退して テレビ出演で何かテレビに出るための前宣伝みたいで本気にに成 って今の日本の選手の試合は見られない。偶々辰吉の様な選手も 出て来たが、此れは根性だけ、技術的にレベルが上がらずに敗退 此れではボクシングの人気も下がる。いずれにしても渡辺を見て。 |
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1.キム | 2.ペドロサ | 3.バラス | 4.大熊 | 5.イバネス | 6.仙台 | 7.権 |
8.チャベス | 9.プーンタラト | 10.ソラノ | 11.勝間 | 12.ユン | 13.ローマン |
1.キム・チョルホ×
渡辺 二郎 昭和56年4月22日 WBC Jrバンタム級 韓国 現地に行って挑戦 . 判定 15回 キム・チョルホ 日本を代表する左の強打者と言われた渡辺が韓国にて挑戦するが・・ 海外に特に韓国では判定では勝てない、言われた通り惜しくも判定で このチャンスをものにする事は出来なかった。 |
日本拳法の選手だった渡辺 |
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2.ラファエル・ペドロサ
× 渡辺 二郎 昭和57年4月8日 . WBA/Jrバンタム級 大阪・大阪府立体育館 . 判定 渡辺 二郎 関西のジムから、初の世界チャンピオンが誕生した。王者ペドロサは 3年前Jrフライ級で具志堅に挑戦した事もあるパナマの選手。打たれ強 さが身上だったが、この試合でも変わったところは全く見られない。スタ ートから渡辺の一方的なペース。ヒット・アンド・アウェー作戦が的中し、 減量失敗で動きの重いペドロサのパンチは、殆ど空を切る。渡辺は6回 以後、毎回の様に王者をダウン寸前に追いつめたが無理せず、大差の 判定で完勝した。 |
ディフェンスの良い挑戦者を崩せない |
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3.渡辺
二郎 × グスタボ・バラス 昭和57年7月29日 . WBA/Jrバンタム級 大阪 ・ 大阪府立体育館 . 9回 TKO. 渡辺 二郎 苦しい初防衛戦だった。がっしりした上体の元王者バラスは、体を揺 すり乍ら接近戦を挑み、渡辺のヒット・アンド・アウェーを許さない。同じ アルゼンチン人のローチエに似て、ディフェンスも堅牢だ。渡辺は言う 「バラスは、アルマジロみたいで打つとこが無いんですわ。駆け引きも 上手いしね。常に僕の目の前に居るから、恐かったですよ」だが渡辺 は自分の型を破り、「どつき合い」の混戦に挑戦者を引きずり込む。 40度を超えるリング上の猛暑で、バラスは急激に消耗。9回終了直前 コーナーに詰まって乱打を浴びたあと戦意を失い、試合を放棄した。 「むこうが先に息があがってしまったからね。でもあのディフェンスは最 後迄崩しきれなかった。根性で勝ったね」 |
右目をカットした大熊は苦しい展開 |
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4.渡辺二郎
× 大熊 正二 昭和57年11月11日 . WBA /Jrバンタム級 静岡 ・ 浜松市体育館 . 12回 KO 渡辺 二郎 渡辺が、前フライ級チャンピオン大熊の野望を断ち切った。スピードで 上回る王者は、ヒット・アンド・アウェーの安全策で前半をリード。3回に 偶然のバッティングで右目を深くカットした大熊には、益々苦しい戦いと なる。大熊も世界戦13戦目らしい老獪さで、決定打を許さないが、得意 のボディー攻撃は渡辺にかわされる。王者優勢の侭ラウンドは、進み、 12回、右フックを左目に受けた大熊は突如、背を向けて試合を放棄した 両目が見えなくなったと言う理由からだった。 |
渡辺の強烈な左ストレートにダウン |
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5.渡辺二郎
× ルイス ・イバネス 昭和58年2月24日. WBA/Jrバンタム級 三重 ・ 津市体育館 . 8回 KO 渡辺 二郎 チャンピオン渡辺の強さがきわだった一戦だ、研究熱心で有名な渡辺 だが、イバネスみに関する限り資料は皆無、KO率7割強と言ったデータ しか手元に無い。「やる前は、物凄く不安で恐かった。2、3回で相手の タイプを見抜いたけど、まだこわごわやってた。此れならいけると思った のは、4、5回からですわ」渡辺は、ヒット・アンド・アウェーでポイント差を 広げ、スピードの無いペルー人挑戦者を圧倒。8回左右フックでダウンを 奪ったあと、顎を貫く様な左ストレートでとどめを刺した。 |
4度ダウンを奪いながら終盤劣勢に |
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6.渡辺
二郎 × 仙台・ラミレス 昭和58年6月23日 . WBA/Jrバンタム級 宮城 ・ 宮城県 SC . 判定 15回 渡辺 二郎 渡辺は4度のダウンを奪いながら、苦戦をしいられた。ラミレスはメキシ コ出身だが、仙台ジムに移籍した選手。スロー・スターターで、何時も出 だしは悪い。そこをついた渡辺は初回、早くも右フックで2度倒す。この 回ゴング直前、また右フックでラミレスに両手を付かせたが、此れをレフ リーが見落として仕舞う。調子を乱された渡辺は、4回と9回にもダウン をスコアしたが、後半ラミレスの猛追を許し、僅差の判定で逃げ切った。 |
頭を低く下げてラッシュする権 |
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7.渡辺
二郎 × 権 順天 昭和58年10月6日 . WBA/Jrバンタム級 大阪 ・ 大阪府立体育館. 11回終了TKO. 渡辺 二郎 WBAルールの「負傷TKO勝ち」が、今度は日本選手に幸いした。サウ スポー同士の対戦。世界一位の権は、低い姿勢から突っ込み、荒々し い左右フックを振るう。渡辺は前半やや押され気味だったが、中盤から 右フックで主導権を握る。アクシデントが起きたのは11回。権のヘッデ ィングで渡辺の左目上が裂け、おびただしく出血したのだ。レフリーは 試合を止め、WBAルールに従い渡辺のTKO勝ちを告げた。権がキドニ ー・ブローやバッティングの反則で度々原点を取られていた為、採点の 上では大差がついていたのだ。 |
14回渡辺の右フックが炸裂 |
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8.渡辺
二郎 × セルソ ・ チャベス 昭和59年3月15日. WBA/Jrバンタム級 大阪 ・ 大阪城ホール. 15回TKO 渡辺 二郎 14回、渡辺の右ロングフックが、挑戦者の細い顎に爆発した。前のめ りに倒れるチャベス。勝負を決める一発だった。しかし、それまでの渡辺 は、チャベスの長いリーチからの右アッパー、左フックに悩まされ、両目 の上も切って、苦しい戦いぶりだった。「攻め方がわからなくてね。チャ ベスは出てこんし、ジャブもワン・ツーも届けへん。こうなったら、一寸雑 なボクシングでも、相手のペースを乱して行こうと」臨機応変のボクシン グは、渡辺の身上だ。12連続KOのチャベスの強打を恐れず、接近戦で の「どつき合い」に、決定的なダウンを奪ったあとも追撃をゆるめず、最終 回のレフリー・ストップにつなげた。 |
11回渡辺の左ストレートが爆発 |
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9.渡辺
二郎 × パヤオ ・ プーンタラト 昭和59年11月29日 . WBC/Jrバンタム級 熊本 ・ 熊本県立総合体育館. 11回TKO 渡辺 二郎 渡辺のベスト・ファイトと言って良い。前回の試合で苦しめられたパヤオ の右ストレートを、サイドステップ、バーリング、ブロッキングなどの多彩 なディフェンスで完封。見事なコンビネーション・ブローを叩き込む。5回 の決定打は、左を軽く伸ばしてパヤオの左ストレートを誘い、それに合わ せて右フックを鋭く振りぬいたもの。最高のカウンターだ。パヤオは大の 字に倒れたが、ゴングに救われた。「あのKOカウンターは、ハグラーを 手本にしているんですよ。あのダウンからは、僕のリズム。パヤオは受 けて立つタイプなのに、先行されたので自分からいかなあかん。悪い方 へ悪い方へ行ってしまった」。渡辺は、冷静さを失わない。セコンドから 「行け」のサインが出ても、「相手の生き死には、やって居る本人が一番 分かる」とチャンスをうかがった。そして11回、5回と同じ右フックで泳が せ、左ストレートをフォローして2度目のダウン。パヤオは立ち上がったが 再び渡辺のワン・ツー当たった時、レフェリーが試合を止めた。 |
10.渡辺
二郎 × フリオ・ソト・ソラノ 昭和 60年5月9日 . WBC Jrバンタム級 ドミニカ . 現地にて .判定 12回 . 渡辺 二郎 |
7回、左ストレートで勝間この回2度目のダウン |
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11.
渡辺 二郎 ×勝間 和雄 昭和60年9月17日 . WBC Jr バンタム級 大阪 ・ 大阪城 ホール . 7回 TKO 渡辺 二郎 勝間は、前フライ級の小林をKOして急浮上したボクサー・ファイター。 5連続KO勝ちの余勢を駆って渡辺に挑んだが、あらゆる面で力の差は 歴然としていた。 勝間の狙いは、得意の右ストレートのみ。渡辺は余裕 を持って此れをかわし、つけいる隙を全く与えない。4回、相手の右に合 わせた右フックのカウンターで1度目のダウンを奪うと、続いて右アッパ ーで2度目、その後もマイペースで試合を進め、7回.左ストレートで更に 2度倒して、レフリー・ストップを呼び込んだ。 |
12.
渡辺 二郎 × ユン ・ソクファン 昭和60年12月 13日 . WBC .Jrバンタム級 韓国 現地で . TKO 5回 . 渡辺 二郎 |
渡辺がついに王座から転落した |
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13.
渡辺 二郎 × ヒルベルト・ローマン 昭和61年3月30日 . WBC .Jrバンタム級 兵庫 ・ 伊丹市 SC . 判定 12回. ヒルベルト・ローマンと 渡辺がついにタイトルを失い、日本は、5年ぶりに世界王者ゼロとなった この試合の3ヶ月半前、渡辺は韓国でユン・ソク・ファンをKOし、日本人初 の海外王座防衛に成功して居る。無敵ぶりを見せ付けた・・渡辺の今回 の相手は、「最強の挑戦者」の呼び声が高いメキシコのローマン。KO率 8割だが、強打者と言うよりは、無類のテクニシャン。めまぐるしい動きか ら、多彩なコンビネーションを繰り出す。 渡辺は、序盤から鼻血を出し苦 戦、中盤、突破口を開こうと打ち合いに出るが、挑戦者は乗って来ない・・ 渡辺も決定打を許さないが、ローマンは小刻みにポイントを重ね、3対0の 判定で王座を奪った。「ほっとした気持ちと、ああ残念やと言う気持ちの半 々です」と語った渡辺は、その後カムバックもうわさされたが、一度もリン グにあがらなかった。 |