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大場は最大のライバルとして花形は挑戦したが・・ |
大場に挑戦した花形、日本人同士の好試合として記憶に残って居る しかし花形は大場からタイトルを取る事は出来ず・・大場が交通事故 で亡くなってからチャチャイに挑戦して念願を果たす。 |
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大場政夫
× 花形進 昭和47年3月4日 .WBAフライ級 東京 ・日大講堂 .判定 15回 . 大場政夫 日本人同士による世界戦は、概して激しい試合になる。この一戦も 例外ではなかった。4年前の新人時代に大場は花形と戦い、判定で 惜敗して居る。以来、二人は、事ある毎にライバル意識をむき出しに して来た。試合は予想通り、初回から打ち合いになった。リーチで上 回る大場は、2回にワン・ツーを連続ヒットして主導権を握り、中盤で リードを広げる。だが花形も、素早く飛び込んでのボディ攻撃で反撃 13回には右ストレートで、王者の腰を 落とした。クリンチの少ない キビキビとした打激戦は、終了のゴングまで続き、有効打で勝った 大場が、接戦をものにした。花形は言う。「試合前から風邪をひいて コンデションは物凄く悪かったが、あれは相手が大場だから、あれだ けに戦えたんだと思いますよ、”この野郎!”と言う気持ちになれた からね」 |
戦意のないチャチャイを攻める
チャチャイ・チオノイ×花形進 昭和49年10月18日. WBAフライ級 神奈川・ 横浜文化会館 .6回 KO花形 進 このタイトルは、かって大場政夫が保持していたものだ。大場の死 後、最後の激闘の相手となったチャチャイが、空位の王座に就き、 今回はその3度目の防衛戦。花形とは一年前、地元のバンコクの リングで戦い、判定で退けて居る。ところがチャチャイは、試合前チャ ンピオンの名を汚す大失態を演ずる。朝の計量でリミットを1.6kgも オーバーし、戦わずして王座を剥奪されて仕舞ったのだ。此れほど 挑戦者を馬鹿にした話はない。花形はそのうっぷんを晴らすかの様 に、スピードのあるワン・ツー、左右フックでチャチャイを打ちまくる。 戦意の見られない王者に、レフリーは6回中頃試合を突然ストップ、 挑戦者のKO勝ちを宣告した。花形は、WBAルールで空位の王者に キャリア11年、実に5度目の世界挑戦で、悲願を果たした。 |
積極性、手数花形が勝るが
花形進
× エルビト・サラバリア 昭和50年4月1日 .WBAフライ級 富山・富山体育館 .判定 15回 エルビト・サラバリア ”逆ホームタウン・デシジョン”なる言葉が生まれた問題の一戦だ。 両者は、サラバリアが王者だった6年前、フィリピンで対戦し、サラバ リアが判定で防衛に成功して居る。立場を入れ換えての再戦。 初防衛に燃える花形は、試合開始直後から積極果敢に攻めた、ステ ップ・インして放つ左フックが再三、長身のサラバリアにヒットした。 カウンター・パンチャーの挑戦者は、左右アッパーのボディブローで対 抗するが、7回と11回にロー・ブローの減点を取られる。この失点も 含め花形の勝利は動かないと見られたが、結果は2対1でサラバリア この判定に対し、5000人のファンはリングに物を投げ入れるなどして 騒然、サラバリア有利と採点したアメリカ人レフリーとフィリピン人ジャ ッジを日本ボクシング・コミッションがWBAに提訴する騒ぎに発展する 花形は「悔しい」とうつむき、先年マニラで会ったサラバリアは、「ああ いう判定はよくあることさ」と苦笑していた。 |
闘志が空回りし攻めに変化を欠く
エルビト ・サラバリア
× 花形進 昭和50年10月7日 . WBAフライ級 神奈川 ・ 横浜体育館 .判定 15回 エルビト・サラバリア 前回不運な判定で王者を 追われた花形は、雪辱を期していた。が その気負いがかえって裏目に出る。変化に乏しい攻撃は、カウンター パンチャー、サラバリアの思うつぼ、左右ストレート、アッパーで、ポ イントを着々とあげ、3度目の対戦にはっきりした形で決着をつけた 「花形はとにかくタフだったよ、いくら打っても倒れないんだから」と 回想するサラバリアは、マニラで後進の指導にあたって居る。花形も 念願のジムを地元・横浜に開いた。 |
大場が亡くなってから花形の時代が来るのかと期待をしたがその期待 も消えてその後フライ級では、淋しい時代が・本当に大場がいなく成っ たのは、ボクシングファンとしては大きな財産を無くした。 |